今のクリーニング屋になった分岐点。
ここ最近、自己紹介や、当店の話を少し書いてきましたが、何も初めっから当店が今のような仕事をしていたわけではありませんでした。
・・・・・というか、そういう風に聞いています。
開店当初、お金がなく始めていますし、時代背景もあり、とにかくがむしゃらだったんだそうで。
社長は、丁稚奉公の後独立をしていまして、仕事はその頃からとても丁寧だったと聞いていました。
クリーニング屋さんも徐々に増え始め、ちょうどドライクリーニングがクリーニング屋さんに普及し始めの頃でした。
社長たちに聞いたところ、その当時は普通のクリーニング屋さんだったそうです。
ただ、まじめにはやっていたとの事。
それは、お客様が証人となってくれました。
私が子供の頃、父に連れられて、よく配達に回っていたんです。
今じゃ考えられないですよ。
学校から帰ってくるのが、大体二時ごろ。
すると、スーッと家の前に車が止まり、そのまま連行されます。(笑)
そして、配達に回りまして、帰ってくるのが早くて夜9時。
遅ければ10時を回ることもありました。
まだ小学生ですからね。
そのときに、お客様の家へお邪魔すると、よくかわいがってもらったんです
そして、必ずといっていいほど、お父さんは凄いのよと言われ、君も大きくなったらクリーニング屋さんになってね、なんて言われていました。
子供心に、そんな事言われると嬉しいじゃないですか。
鼻息荒く、自慢げだったのを覚えています。
で、転機が訪れたのは、私が生まれる前、兄が亡くなった時のこと。
3歳のときに白血病を発病し、当時まだ骨髄移植とかなかったんです。
長い入院生活を支えるのは容易なことではありません。
また、社長も元来体が弱く、入院してたりしたそうです。
お金は信じられないほど消えていく・・・。
寝られないほど仕事をして、病院へ行き子供の世話をして・・・・と繰り返すこと3年。
小学校に上がってまもなく、兄は亡くなったんです。
3日しか通えなかったと聞いています。
これはお客様からのお話で分かったのですが、私がクリーニングの仕事についた頃、親子3代でご利用されているお宅へ伺ったんですね。
そこのおばあちゃんが話してくれました。
一月ほど、社長が配達へ来なかったんだそうです。
そして、久しぶりに配達へ来たと思ったら、別人かと思うほどやせ細ってげっそりとしていたとか。
あの光景は今でも忘れないと、いっていました。
そのときに、瞬時に子供が亡くなったんだと悟ったんだそうです。
本当に辛そうでねえ、といろいろとおばあちゃんは話してくれました。
そんな、大変な思いをした社長ですが、どこかで踏ん切りをつけ前を向かないといけません。
そのときに思ったんだそうです。
どんなに一生懸命働いてお金を稼いでも、子供の命ひとつ救えない。
それならこれからの仕事は、自分が思うように思いっきりやりたい。
と。
それかららしいです、メーカーさんとコンタクトを取り、研究を重ね、いい仕事を目指すようになったのは。
ですから、うちの社長に会った事ある人はちょっと変わってるなと思いますよね。
何か強い信念のの様なものを持っているし、貪欲に勉強しているな、と。
本人の仕事の原点なんじゃないのかなと思います。
私が子供の頃、この話を聞いても、あまりぴんときませんでした。
というのも、相当昔の話だと思い込んでたんですよね。
でもこうして年を取り、子供をもうけ、育てていると、ふと思ったりするんです。
私が小学生の頃って、まだ子供を亡くして数年しか経ってなかったんだなあって。
ほんの数年の出来事だったんですよね。
子供を持つと、この数年が非常に早く感じられます。
そんなことを感じさせずに、仕事に専念していたのはすごいなあと思うんです。
いまだに当時の話をすると思い出すようですしね・・・。
私はこのような仕事をしていて感謝していますが、本人たちは厳しかったのかもしれません。
今のような仕事をするようになった原点ですね。
一伸ドライクリーニング店
カシミヤ・アンゴラ専門店 カシミヤクリーニング.COM
東京都府中市住吉町2-17-13
工藤隆史
TEL 042-362-6470
定休日 日曜日
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朝8:00~夜10:00
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