クリーニングと修行。その2
昨日の話しの続きです。
クリーニング屋さんは、やはり職人に近いんだと思うんです。
で、その職人を育てようとすると、やはりかなりの時間を必要とします。
昨日書いたように仕事を分割化して、作業として手順を覚えさせるだけなら誰でも簡単に出来ろようになります。
しかし、はたしてそんなにうまくいくのか?
たとえば、僕らクリーニングの仕事が、画一的なものを扱っているのなら、作業として仕事を見ても問題ないと思うんですよね。
でも、実際は、品物ごとに状態や状況が違って、その都度判断を求められる、と言うこと。
ひとつとして同じ商品はない、とまではいいませんが、沢山集まってくる服の中で、他と違うものがかなり混ざっていてそれを見極めて、商品にあわせて洗浄方法や仕上げを変えていく・・・・・・、と言うのは、作業として考えると至難の業です。
で、こういう仕事が、特殊な仕事ではなく、クリーニングの場合は日常的に求められている仕事になるので、どうしても職人的な要求が強くなります。
自分たちで生産し、材料も同じものを集められ、作るのも一緒、と言うのなら、作業に職人的な要求をすることもなく、手順としてやることは可能だと思うんです。
でも、僕らの仕事はそういうのとは違います。
人様の服を預かり、素材も汚れ具合も、耐久性もまったく違うものを、全部同じようには洗えず、値段もばらばら、その上人の思いの詰まった唯一無二の商品であることを考えると、作業や手順としてやるような仕事にはどうしても不安が残ると思うんですよ。
結局、その僕らが感じているその不安を払拭するためには、勉強をし、こつこつと仕事を繰り返し、頭だけでなく体にも仕事の感覚を覚えこませていくことが必要になってくるんですね。
・・・・・、つまり、修行が必要になる、と言うこと。
思い描いているような修行ではないかもしれません。
昔の丁稚奉公とは違うと思いますが、それでも一人前を名乗るまでに、日々研鑽をしていく必要のある仕事だと思います。
ホリエモンのながかけに、我が家でも話になりましたが、おかげで自分たちの仕事を改めて見つめなおすいい機械になりました。
いつも当たり前にやっていることも、いつも当たり前にやるためにこつこつと勉強をしていて、それが当たり前につながっているんだなあと思ったり。
考えなくても出来る作業はないのかな?と考えてみたり。
本当にいいきっかけです。
どんな職業でも、修行の必要性はまた別の話になりますが、職人は絶対必要だと思います。
育てるため二修行が必要か教育が必要か、勉強が必要か、わかりませんけど・・・・・。
でも、誰でも出来るような仕事が増えてきている反面、イレギュラーなものだったり、その場に合わせた仕事を求められたりすると、途端に対応できなくなる人も多いのも事実です。
こういう仕事は、長年がんばってきた職人にしか出来ませんからね。
ぜひ、職人を育てていって欲しいな、と思います。
職人が、胸を張って、自分は職人だ!と言えるのっていつからなんでしょうね。
日々、がんばっているからいつまで経っても、まだまだ、とかいいそう。
でも、それが大事なのかもしれませんね。
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